探し求めて15年……。


この写真をご存知の方は、H-Dやチョッパー、そしてアメリカ・サンフランシスコを震源とする1960年代のカウンター・カルチャー関係がお好きなヒトでしょう。1968年に撮影された写真で、写っているのは当時のヘルズ・エンジェルズのメンバー達。右側で膝をついているのは、映画に出演したことでも有名なメンバーのテリー・ザ・トランプ。

 


この写真の存在を知ったのはもうずいぶん前のこと。最初はHarlem Pop Trottersというミュージシャンのレコードのジャケットでした。チョッパーに乗りたいと思ったのはもうかれこれ20年近く前で、その頃から探し始めた当時の雑誌や書籍等の資料収集は、チョッパーを下りた今も趣味として継続中で、このレコードも「ヘルズ・エンジェルズがジャケットのレコードとは一体何だ!?」と、その存在を知って以来、猛烈に探し回っていました。昔からそうですが、「本気で欲しい!!」と思っていると、そのモノから寄ってくる不思議、ありませんか? これ、モノだけじゃなく、例えば希少な旧車やパートナー探しでも共通する!? ニンゲンの不思議な能力のひとつと思います。


で、見つけてからしばらくして手元に届いた念願のレコード。早速聴いてみて……まぁズッコケました。てっきり’60年代のガレージロック、はたまたサイケデリックロック系かと想像していたら、まさかのジャズ・ファンク!? 都会の洒落たカフェで流れていそうな、軽やかで爽やかなのにベースラインはゴリゴリな本気系。調べるとこのレコードが発売されたのは1975年。ジャケットをよくよく見れば発売元はアメリカではなくフランスで、なんでも当時のフランスの名うてのミュージシャン達が集まり即席的にリリースしたレコードだったのでした。ジャズ・ファンクからフュージョンへと移行し始めた当時の時代感と、ルパン三世のサントラ的おフレンチな雰囲気の見事な融合っぷりにシビれたのですが、ジャケットとの関連性はサッパリ?? のまま。ちなみにspotifyでも聴けますので、ぜひ。で、こうして音楽にのめり込みすぎて、気になっていたジャケット写真の正体のことはすっかり忘れて早10年……つまり、手がかりナシの謎のまま。

最大の謎であり、この写真の正体を探す重要な手がかりといえば、そう、そもそもヘルズ・エンジェルズの写真をまるで関係のないミュージシャンが使えるとは考えにくい、ということ。権利関係も含めてまぁ色々とあるはずですからね。でもHarlem Pop Trottersは一時的なユニットでその後のリリースや情報もないし、彼らがエンジェルズと関係がない……と言い切れる情報も出てこない。う〜ん、全然情報不足。というわけで調査は頓挫していたのでした。


こんな感じで趣味のコレクション癖として熱を入れまくっているのは、ヒッピー&ビートニク、そしてカウンター・カルチャー関連全般、そしてチョッパー関係、もちろんヤマハSR関係だってマスト、そして大好きなGRATEFUL DEADモノ。どのジャンルでも、僕が集めているのは、モノというよりも、その時代に何が起こっていたのか!? がわかる文献が中心。

で、デッド関係で言えば、2008年辺りからオフィシャルサイトDEAD.netから盛んにリリースされ始めた過去の音源シリーズがもう大変で、サウンドボード音源でデジタルリマスターされた未発表ライブが毎年これでもかとリリースされ続けています。おかげでデッド熱は冷めるタイミングがないまま現在進行形ですが、そんな僕のライフワークのひとつが、デッドをより深く理解するためのリサーチ。そんな日々の活動の中で急に出てきたのです、そう、探し続けていたあのヘルズ・エンジェルズの写真が!!!!

夜な夜なあれこれとネットサーフィンしていたら突然、’60年代後半と思しき初期デッドとビッグ・ブラザー・アンド・ホールディング・カンパニーが一緒に写るスタジオ写真とともにヒットしたのです。同じ背景、同じ画角で撮影されたと思われる例のヘルズ・エンジェルズの写真を。だらだらとPCに向かっていた姿勢を正し本気調査をスタートすると、どうやらこの写真を撮影したカメラマンはアーヴィング・ペン。調べると、アメリカを代表するスタジオ写真家の巨匠でした。

で、ヘルズ・エンジェルズもデッドも、そもそもはアーヴィング・ペンが1968年にLOOK誌のために撮影した写真とのこと。それは、サイケデリック・アート調で加工されたジョン・レノンが表紙のLOOK1968年1月号。特集は「カウンター・カルチャーの怒りと芸術性」。ビートルズもしっかりと特集したその号の中で、サンフランシスコでアーヴィング・ペンが撮影したのが、カウンター・カルチャーを象徴するヘルズ・エンジェルズやヒッピー、そしてGrateful Deadだったのでした。しかし、1968年1月号のLOOK誌は探しても全然見つからない。HAやデッドというよりビートルズ効果でしょうか、e bayで数件ヒットするもどれも超高額。


で、ひとまずはアーヴィング・ペンを再調査。巨匠ってことは写真集が発売されているはず。そして見つけたのが作品集「Worlds in a Small Room」でした。1974年に発売されたこの写真集の中には、どうやら「San Francisico」というコーナーがあるらしい……と。古本屋さんネットワークを駆使して手頃な価格で発見。中を確認するとまさにビンゴでした。


こうなるとあとは約60年前のLOOK誌だけ。さすがに国内入手は厳しいか……と、調査をスローペースに切り替えたその時、台東区谷中にある古書店で発見したのでした。しかもこれまた手頃な価格で。

このLOOK誌、スタジオ写真とともに掲載されているテキストは、あえて編集者やインタビュアーの意図をいれず、被写体の言葉だけ載せるこだわり。ヘルズ・エンジェルズもGrateful Deadも短い文章でしたがそれぞれ興味深い内容でしたので、興味ある人がどれだけいるか?? ですが、後日またブログにて紹介します。


さぁ残る謎はただ一つ、Harlem Pop Trottersのジャケがどんな経緯でヘルズエンジェルズになったのか!? まぁ巨匠の作品ですから、お金を出せば使えたのかもしれませんし、こちらはゆっくりと調査していきます。ひとまず、のんびり15年ほど継続してきた第一次調査はひと区切りでしょうか。時効寸前で難事件解決……的達成感に満たされました。

 

締め切り後の無気力症候群に、困る。

2月27日に発売した『THE MOTORCYCLISTS’ BOOKS』はおかげさまで大好評。ありがとうございます。

一冊作り終えると、あらゆることに対してまったくやる気が起こらない。これは今に始まったことではなく、ある程度責任をもって本を作るようになってからは毎回、必ず、おこる。困るのは、やる気がないからといって別にダラダラしたいワケでもない、ということ。言ってしまえば「ダラダラと過ごす」ことにもやる気が出ない。

次に作る本の企画は決まっているのだからさっさと動き出せばいいことはわかっていても、どうにもやる気モードのスイッチが入らない。結局こんな自分にスイッチを入れてくれるのは、新しい本の取材だったりするから余計に困ってしまう。

どうやら僕は……編集部に泊まり込み、編集作業に追われながら、次の本の制作に没頭している時間を過ごしていることを一番「心地いい」と感じているのかもしれない……なんて、だんだん確信のように思い始めるようになってきているから、本当に困ってしまう。

何が困るって、編集作業に追われてアタマの中も制作中の本のことでとても忙しくなっている時に限って、まるで関係のない本が読みたくなったり、実際に読むことに妙に集中できて楽しかったり、好きな音楽をいつも以上に聴き込んで年代別の考察なんて始めたり、ずっとぼんやりとしか考えていなかった自分のバイクについてあらためて「自分はオートバイで何がしたかったのか!?」なんて考え始め、無性にあれこれとやりたくなり、終いには忙しい最中、夜中にハンドル交換なんてしてしまったり……要は忙しい時の方が、仕事以外のことにも集中できて「あ〜時間が足りない」なんて言いながらちょっとした充実感を得てたりするのだ。

これらすべて、「やるべき時はいまでしょ」と締め切り後はいつも思うのだけど、この時期はやっぱり、きまってそれら全てに対してやる気が起こらない。おそらくは制作していた本の世界に入り込み過ぎていて、なかなか普段の自分に戻ってこれないのだろう、なんて思ったりもするけど、本当のところはわからない。しかもこの無気力な期間が続けば続くほど、「いつもの自分」なんて存在するのだろうか? つまりは、そもそも何がやりたい人間だったのかわからなくなる不安にも襲われたりするから、やっぱり困る。

というわけで、今日は次の本の最初の取材。何より楽しみなのは、新しいスイッチが入ってくれることなのです。

 

写真に意味はありません。しかしメグロK3は存在感ありますね。よくW800のカラーチェンジじゃないかなんて言われていますが、F19インチでアップハンドルが付くオートバイ然としたスタンダードなスタイルは初代W650以来。

 

“道具”としてのサイドバッグ考。


スタンダードサイズのSIDE CARGO PACK。これが僕らが最初に作ったバッグです。いまでこそラージサイズにタンクバッグにシートバッグとランナップを広げていますが、最初にサイドバッグを作った時は「販売する」という意識はそれほどありませんでした。昨夜ひょんなことからそんなことを思い出したので、サイドバッグ(というかオートバイにおけるバッグ)についての僕らの考えや立ち位置的なことを少し書いてみようと思いました。


編集部近所に、都内最安で知られるスーパーマーケットのオーケーストアができたのは数年前。なんでもかんでも地元のスーパーよりもほんとに安いもんだから、いまでは我が家のお酒を筆頭に、どこで買ってもクオリティが変わらないナショナル製品は、月に何度か通勤ついでに家まで運んでいます。で、ちょうど昨夜は6本パックのビール×2とトマトジュース1ダースを連れて帰る日でした。

ビール12本+トマトジュース12本+いつもの荷物で、バッグはパンパン!!

重さにして約1キロ以上あるモノが3つ。それぞれ単体ではさほど大きくないため、スタンダードのサイドバッグに入れて帰ることにしたのですが、重量は合計するとおよそ5キロ以上。実際にサイドバッグにひとまとめにして持ち上げてみると、思わずショルダーベルトの付け根(縫い目)は大丈夫か? と心配になる、なかなかの重さでした。

まぁもちろん、まったく問題はありません。というか、SIDE CARGO PACKならもっと重たくても大丈夫でしょう。それくらいの耐久性を見越して職人さんと作っていますから。

で、話を戻しますが……こうした部分こそが、僕らが「自分たちでサイドバッグを作ろう」と思ったきっかけだったのでした。

 


もうかれこれ10年以上前のハナシになりますが、当時取材へ行く時は編集部員が各々リュックやメッセンジャーバッグ等、好きなバッグを背負い、その中に一眼レフカメラを含めた取材道具を入れて走っていました。一眼レフのボディ+レンズ2本が標準装備。フィルム時代もデジタルになってからもカメラのボディ自体の重さはさほど変わらない印象でしたが、背負って走るとなるとまぁナカナカ重たいんです。30分〜1時間程度であれば許容範囲ですが、長距離移動となるとその重さはズッシリと肩に響き疲労も相当なものでした。

そこで市販されている片方掛けのサイドバッグを使い始めたのですが、往復2時間ちょっとの取材から戻ってくると、バイクと繋ぐベルトの根元部分がほつれ始めていました。「初日で!? たった1回の使用でこれか!?」と唖然としたのを覚えていますが、日本のメーカーだったとはいえ、リーズナブルな品物で生産は中国。MADE IN CHINAを否定するというよりは、作ったメーカーサイドの“オートバイ乗りに対する”配慮の足りなさを痛感させられたのでした。しかし当時は(今もですが……)片方掛けのちょうどいいサイズのサイドバッグ……しかも安心できる丈夫さを確保したバッグは一切ありませんでした


昨夜、当たり前のようにビール&トマトジュースをバッグに入れていてそんなことを思い出したのでした。何が言いたいかといえば、バッグはあくまで“道具”だということ。

僕らも作る以上は……と、丈夫であることは大前提に、クラシックなオートバイにも似合う風合いを検討し、安っぽくならない素材を選定し、さらにオートバイに装着した状態でサマになるバッグの存在感にも注意を払いました。つまりは“仕上がりのたしかさ”。そうしたことに徹底してこだわりましたが、それらはあくまで重要なポイントではあってもメインテーマではありませんでした。

SIDE CARGO PACKの第一義は、「道具としてちゃんと使えるか」、そして「道具として使いやすいか」でした。その道具とは、オートバイ乗りがオートバイで使うバッグとしての道具。


脱着しやすい汎用性と、その汎用性からは想像もつかない丈夫な作りと耐久性。なかなか伝わりずらいアピールポイントですが、我がSIDE CARGO PACKが使えば使うほどクセになる理由はそこにあります。

旧車やクラシックテイストのオートバイの人気が高まっているここ数年、少し気になっていたのは、世間の、オートバイ用のサイドバッグを選ぶ基準が「クラシックな風合い」と「価格」だけ……だということでした。要するに、主観的な「カッコイイ」と「安さ」だけ。でも、“道具”を使う楽しさや、自然と“道具”に愛着が湧いてくる満足感は、そうした表面的な部分からはなかなか得られるものではありません。


見た目はもちろん大事です。でも、“道具”として便利だなぁ、そして頼もしいなぁと思いながら日々使っていると、いつしかそのサイドバッグは自分のオートバイに似合って見えてくるものなのです。そして自分のオートバイライフにとってなくてはならない頼もしい存在になってきた頃、サイドバッグをつけた状態が、“自分にとって”カッコイイなぁと思えたり、良い雰囲気だなぁなんて思えたりしてくるのです。

やっぱりオートバイ用バッグの基本はサイドバッグ。ALLDAYS ROADSIDE™️のSIDE CARGO PACK(STANDARD) は、そんな気持ちにさせてくれるサイドバッグです。

 

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