[Event Report]「第一回メグロキャンボール烏山」2021.11.7 @那須烏山, 栃木 その2


[Event Report]—その2—
—第一回メグロキャンボール烏山— (主催/パイオニアラン・ジャパン)
2021.11.7 @那須烏山市観光協会 山あげ会館駐車場, 那須烏山, 栃木

大迫力な凱旋パレードを見てもらったところで「メグロ・キャノンボール」の会場を見ていきましょう。

■「第一回メグロキャンボール烏山」その1はコチラ


朝10時から開催されたメグロ・キャノンボールですが、9時過ぎにはすでに所狭しとメグロ・オートバイが並んでいました。聞けば、本来予定していた駐車スペースは道路を挟んだ向かいの駐車場だったそうですが、朝イチから予想(把握していた)以上に来場者が多かったため急きょ、駐車場よりもスペースが広い山あげ会館横の芝生の上に変更したとのこと(最終的にはそれでもスペースが足りず、向かいの駐車場にも溢れたほどの大盛況)。


でもメグロにはアスファルトより芝生や落ち葉の上の方が似合いますね。そのおかげか、ズラッと並べられたオートバイを見て歩く皆さんのペースもゆっくりで、木漏れ日のなかメグロらしい“レトロでノスタルジックな時間”が流れていました。


なんと祖父がオートバイ乗りで[↑]のモトグッチのオーナーでもあったという、那須烏山市の川俣市長(写真ありません、スミマセン!!)の歓迎の挨拶に始まり、そのグッチを受け継いだ大の旧車好きでも知られる地元の住職さんの挨拶と……近年では珍しいほど“バイクウェルカムな雰囲気”で始まった「メグロ・キャノンボール」。

そのせいもあってか、会場はなんだかオートバイで集まっていることが公然と許されたような不思議な居心地の良さ……メグロ・オーナーじゃなくても自然と嬉しくなる空間は、いわゆる旧車ミーティングともひと味違う和やかさに包まれていました。


さらに、そんなのどかな会場に終始聞こえてくるのはジャズバンドによる生演奏。これがまたいいんです。戦前、戦後と、一部の“早い”ヒトたちが聴き始めていたアメリカのビバップやモダンジャズ。メグロを含めた当時のオートバイ乗りのヒトたちは、さぞかしJazzを好むような“ハイカラ”なヒトたちだったんだろうなぁ!? なんて想像をしてしまいます。襟を正される思いじゃありませんが、最近は思わず目で追ってしまうような“ハイカラなオートバイ乗り”はめっきり減ってしまったのかもしれませんね。


入り口で無料で配られるノンアルコールビールを片手に、木漏れ日のなか会場をのんびり歩いていると、ネットでしか見たことがなかった1957年の浅間火山レースで見事優勝した伝説の“浅間レーサー”メグロRZがあるじゃありませんか!!


今年の春にMEGUROK3ムック を制作した時にも少し書きましたが……メグロのこの浅間レーサーは500ccの単気筒でベベルギアを採用したSOHC。

その後、目黒製作所がカワサキと業務提携しK1を発売した後……K2企画時も、そして後のW1企画時にも議論されていたのは、カワサキメグロとしての“全く新しい2気筒モデル”……そこで議題に挙がっていたエンジン型式の一つが、当時最先端を目指した全く新しい機構のOHC2気筒だったといいます。なんでもK2発売の後、W1企画時にも残念ながら実現し得なかったそのペーパープロジェクトの名はなんと「K3(ケースリー)」だったとか。

では、1999年に登場したベベルギア駆動のOHC2気筒エンジンのW650は一体!? ……な〜んて話はMEGUROK3ムック を読んでもらうとして……何が言いたいかといえば、「K3はWであってメグロではない」なんて夢も想像力もないハナシはやめにしましょうということ。だってその昔、“ベベルのメグロ”も存在していたんですから。


1955年の浅間高原レース・セニアクラスではメグロは敗れました。そこで、公道から浅間牧場テストコースへと舞台を移した1957年の浅間火山レースへ向けて、総力を上げて開発されたのがこのレーサーRZとのこと。結果、ぶっちぎりのワンツーフィニッシュを飾った浅間レーサーRZは、500cc単気筒で最高出力は32ps/6500rpm。また最高速は140km/hで車重は168kgだったといいます。しかし、まさか現車が残っているとは!?

 

なんとキャブレター・ボディには“メグロ”の刻印!! お金も手間もかかってますね〜。

 


そういう意味では、会場の片隅でメグロK3ムックを販売させていただきました。お買い上げいただいた皆様、ありがとうございました!!


山あげ会館の中には、メグロの歴史を解説したパネル展示もありました。そこにかかっていた白ツナギは……なんと1950〜60年代当時、烏山工場で使用されていた目黒製作所の作業着!! まるでアメリカの炭鉱から発掘されたリーバイス501!? コアなマニアに限定!? ですが、とんでもないお宝です。

 

 

そうこうしていると、凱旋パレードから続々とメグロ乗りが帰ってきました。落ち葉と木漏れ日とメグロ……もう気分はタイムスリップ。


会場にはメグロを拝むために多くのオートバイ愛好家も集まっていました。

いやぁ、早くも来年が楽しみです。その頃には、K3の弟分、Z9の噂が現実味を帯びているとなお嬉しいですね〜。

 


主催のパイオニアラン・ジャパンの斎藤さん、お誘いありがとうございました!!

[Event Report]「第一回メグロキャンボール烏山」2021.11.7 @那須烏山, 栃木 その1

[Event Report]
—第一回メグロキャンボール烏山— (主催/パイオニアラン・ジャパン)
2021.11.7 @那須烏山市観光協会 山あげ会館駐車場, 那須烏山, 栃木

どこを見渡してもメグロ、目黒、Meguro!!
メグロ・オートバイが日本一集まった!? 凱旋ミーティング。

11月上旬「メグロ・オートバイの里帰り」を合言葉に栃木県那須烏山市におそらくメグロ・オートバイが日本イチ集まった!? (主催者&数々のベテランのメグロオーナーさん曰く)ミーティングが開催されました。これまで知るヒトぞ知る旧車だった“メグロ”ですが、どうやら今春登場したカワサキ“Meguro K3”の効果もあってか、メグロ・オートバイをひと目見ようと多くのライダーも集まり会場は終始大盛況。さながら秋の大旧車ミーティングのようでもありました。

芝生と落ち葉と旧車……なんだか相性抜群。居心地最高の会場でした。

そもそもメグロ……とは、1924年に創業した国産オートバイの祖とも呼ばれるメーカー〈目黒製作所〉のことで、その名のとおり創業の地は現在の東京・目黒。では、なぜ栃木・那須烏山に里帰りなのか!? と言えば、第二次大戦時に戦火を逃れ工場を移転した先が、栃木・那須烏山だった……というワケなんです。


創業以来、数少ない国産の“大型バイクメーカーでもあったメグロは、戦前から白バイにも採用され浅間火山レース等でも活躍。それこそ1964年の東京オリンピックでの聖火ランナーの先導を務めた白バイの多くが“メグロ(カワサキ・メグロK2)”だったのは、旧車好きのあいだでは有名なハナシですね。ところが、その少し前……1960年を迎える前からホンダ/ヤマハ/スズキによる高性能な小排気量車台頭の影響もあり業績は悪化。1961年には現・川崎重工業(カワサキモータースジャパン)と業務提携(その後、吸収合併)、メグロの名が冠されたオートバイが発売されたのは1965年が最後となりました。


 

 

 

 

 

 

 

そうそう、2020年に発表されたMeguro K3でメグロの名は復活しましたね。

 

photo●沖縄県公文書館

振り返ると、全世界で放映されたといわれる1964年の東京五輪での聖火先導シーンは、カワサキ・メグロとして製作されたK2ではありましたが、“元祖メグロ”の最後の勇姿だったのかもしれません。


こちらは会場で見つけた“その聖火ランナーの先導”を務めたカワサキ・メグロK2。その後のカワサキW1シリーズの実質的なルーツでもあるため、ずっとメグロ=W1的バーチカルツインと思っていましたが……どっこい!! 会場に集まったメグロ・オートバイの大半は“シングル=単気筒モデル”だったのです。

1937 Meguro Z97型  PHOTO●Kawasaki Meguro K3特設サイトより

歴史をさかのぼると、目黒製作所による初の自社開発車両は1937年に登場したZ97型で500ccの単気筒モデル。その後、50cc〜600ccまでさまざまな排気量のモデルが登場しますがいずれも単気筒で、目黒製作所が初めて大排気量・2気筒モデルを発売したのは1955年。先ほど1960年を迎える以前に業績が悪化し始めた……と書きましたが、どうやらメグロが名実ともに輝いていたのは、2気筒モデルが登場する以前のハナシ……同じエンジン型式で40〜50年作り続けた英国車じゃありませんが、メグロにとっても単気筒モデルは長年作り続けてきた技術の蓄積と信頼があったのでしょう。ベテランのメグロ乗り&メグロファンから言わせると、メグロといえば……やはり「単気筒」なのだそうです。

もっと詳細なメグロの歴史が知りたい方は→コチラへどうぞ。

さて、話をメグロ・キャンボールへ戻します。
まずは会場に集まりパレードに参加したメグロ乗りの方々を見ていきましょう。来賓の挨拶もそこそこに赤い絨毯の上にメグロオーナー達が続々と並びます。


主催のパイオニアランジャパンの斎藤さんが、各ライダーにマイクを向け、簡単な自己紹介の後、生まれ故郷の町、那須烏山市街をぐるっと一周する凱旋パレードへ出発します。


見るからにベテランな方々による年季の入ったメグロ・オートバイが続きますが、やはり!? 皆、シングル・メグロです。「新車で買って乗り続けてるよ!」なんて方もいましたが、どのメグロも調子良さそうで、歯切れが良く、どこかのどかな単気筒サウンドを奏でて出発していきます。

どんどん続きます。

いかがでしょうか!? メグロといえば単気筒……の片鱗をすでに感じさせます。

まだまだ続きます。

もう、これでもか……と単気筒が続きます。そろそろツインも見たい……と思ってしまうほどのシングル祭り。

でもまだまだ終わりません。

いやはや、普段滅多にお目にかかれない単気筒メグロですが、不思議とだんだん見慣れてきてしまいます。

でも、後続にはまだまだメグロが控えております。

もはや「メグロといえばシングルですよね」と言える自信が出てきました。

25台ほど通過したところでしょうか……K2 そして K1でしょうか!? やっと2気筒モデルが2台登場です。

もうお腹いっぱいですか? まだまだメグロ祭りは続きますよ。

ベテランから若手(といっても30〜40代!?)までオーナーの年齢層もさまざま。

[↑]の2台は、なんと岡山から参加のメグロ乗り親子!! この日、ひときわ盛り上がっておりました。ちなみに親子揃って当然、“単気筒メグロ”です。

さぁ、ようやく最後尾が見えてきました。

しかし、メグロ、目黒、Meguro……いやぁ圧巻。おわかりいただけたでしょうか!? もうほとんどが単気筒メグロばかり。それにしてもすごい台数。メグロ・オートバイが日本イチ集まったというのも納得です。

そして、そして、嬉しかったのは……


パレード最後にカワサキMeguro K3乗りの方が登場したこと。貫禄、雰囲気負けておりません。会場には珍しい旧車メグロがこれでもか!? と並んでいるからか、メグロK3、意外と注目を集めてましたね。

その2 へ続く。

[Event Report]第40回 「英車の集ひ」2021.10.30-31 @清里, 山梨


[Event Report]

—第40回—英車の集ひ 
2021.10.30-31 @伊予ロッヂ, 清里, 山梨

英国車を愛で、英国の気品に浸る、
40回目を迎えた伝統の英車ミーティング。

1960年代まで栄華を誇っていたイギリス製オートバイは’80年代を迎える頃には日本製4気筒モデルにその座を奪われ、すでに時代遅れの旧式スポーツバイクの烙印を押されてしまっていました……が!? その一方で「やっぱり古き良き英国車が良い」というファンが本場イギリスはもちろん、全世界にたくさんいたのはご存知のとおり。そして当然、日本にも少数ながらそうした英車ファンがいました。

去る10月30〜31日に山梨・清里にて開催された今年でなんと40回目(年一回開催)を迎える「英車の集ひ」は、それこそ当時から日本製の最新モデルよりも「英車が良い」とこだわり続けたヒトたちが、最初は数人の仲間たちで走り、集まることからスタートしたミーティング。


40回目を迎えた今年、主催の座を若手に譲った栗栖さん。これまでは様々な準備のためクルマでの参加だった栗栖さんの来年からの楽しみは「久しぶりに自分の英車で参加すること」だそう。

「英車の集ひ」が初めて開催されたのは昭和57年(1982年)。オートバイのミーティングというと「アサマミーティング(群馬・長野原)」か「古き二輪を愛でる会(京都)」くらいしかなかった当時、和歌山在住でその頃BSA A65に乗っていた栗栖さんが大阪の老舗・英車専門店〈小川モータース〉に整備で訪れたことが「英車の集ひ」が始まるきっかけだったといいます。

主催・栗栖さんからお借りした貴重な第3回「英車の集ひ」の集合写真。

こちらは同じく第3回の参加者名簿。参加者には届く名簿の表紙は毎年趣向を凝らした“古き良き”英車の写真が使われていた。

「小川さんらとね、“英車だけで思いきり走らせる”集まりがあってもいいんじゃないか!? なんて盛り上がってね」と、栗栖さんは当時を振り返る。“英車を思いきり走らせる集まり”……いま思えばこれこそなんとも英車乗りらしい、そして英車乗りならではのミーティング・テーマだったのです。

会場は“英車を存分に走らせたい”オーナー達にとって絶好のカントリーロードが縦横無尽に存在する紀伊半島の中心、和歌山県の花園村に決まり、参加者はわずか7人でのスタートだったそう。ところがその評判はすぐに広まり3回目[写真上]には参加者は46人に増え、4回目からは関東方面からも多くの英車乗りが参加するようになったといいます。

Photo/KAZ (Triumpher)

「英車の集ひ」……というと、若手を中心にこれまで何度も“敷居が高くて参加しづらい”といった声を聞いたことがありますが、考えてもみればそれもそのはず。もちろん主催の栗栖さん他、長年参加しているヒト達にそんな気持ちは初めから一切ありませんが、誰もが10〜20代の頃(1960〜70年代)から旧車の中でも特にマイノリティな存在だった英車に傾倒してきた、ある意味とんでもない変わり者!? ばかりの集まり。つまり見た目はジェントルでも英車のこととなると筋金入りの猛者たちが何十年も続けているミーティングというワケです……そりゃ誰でも初めて参加した時は“そう”感じても仕方ない部分もあったんじゃないでしょうか。実際は皆さん、優しくて気さくな方達ばかりなんですけどね。

そもそも「英車の集ひ」が関西発だったからなのか……ストバイ時代から英車の取材というと何かと関西方面が中心でしたが、興味深いのは大きく分けて“関西と関東の英車乗りの価値観”が昔からどうやら少し違っていたのかなぁ……と感じることでした。

ざっくりと言えば、一般道主体サーキット主体かの違い。

2年前に制作したムック「BRITISH TWIN-英車真髄」で取材した時の小川さん。

以前〈小川モータース〉の小川さんも若い頃を振り返り仰っていましたが、当時旧車レースが盛んだったのはやはりサーキットが充実していた関東エリアだったそうで、小川さんら関西の方々も当然興味があり何度も参加していたと言いますが、やはり遠いため毎回となるとムズカシイ部分もあったと話していました。

対して、関東エリアに目を向けると、古くからの英車ショップやトライアンフで有名だった故・山田さんらの話を聞いていると、とにかくレースに向けたエンジンのチューニングが盛んでもあったようです。オートレース関連のチューニング・エンジンのことや有名チューナーの話題もよく聞いたものでした。


[上の2枚の写真は若かりし頃の小川さんとツーリングでの一コマ]

小川さんの昔話を聞いていると「関東のヒトらはやっぱりスゴいでしょ?」なんて言いながら、その分、負けじと若い頃からツーリングをはじめとにかく走り回っていたハナシがたくさん出てきます。“英車を思い切り走らせたい”と始まった「英車の集ひ」じゃありませんが、それこそ近畿エリアのカントリーロードはいつでもどこでもマン島TTレース状態!? でもあったようで、詳しく聞けばそれはもうココでは書けないような豪快過ぎる!? エピソードの数々でしたが、そうした英車ライフも関西方面の英車乗りの特徴でもあったようなんです。

関西エリアの英車乗りは一般道でその本領を発揮しようとしていたのに対し、関東エリアの英車乗りはサーキットでその可能性を追求していた……どちらも英車のスポーツ性を楽しもうとしているコトには変わりませんが、“日常的に、そして純正のまま一般道をガンガン走らせる”英車乗りの姿は、関西には今も受け継がれている“古き良き”英車乗りの世界のようにも感じるのです。

現在、小川さんは年齢と体力を考慮し店は閉じ、小川モータースで修行し独立した犬塚さんのショップ〈タイガーワークス〉にて顧問!?をつとめているそうです。[左]小川さん[右]犬塚さん

“一般道で英車の本領を楽しむ”……小川モータース出身で大阪で英車専門店〈タイガーワークス〉を主宰する犬塚さん達と走った時には、それこそ「旧車なのにそんなに回しても良いのか!?」と唖然としたモノでした。

聞けば、犬塚さんや犬塚さんと同じく〈小川モータース〉出身の京都〈ブリーカーズ〉手島さんが、その昔小川さん達ベテラン勢とツーリングに出かけると……走行中の小川さんが横に来て「もっと開けろ! 飛ばせ! もっと回さな英車の魅力はわからへん!  」としょっちゅうゲキを飛ばされたといいます。さらに言えば「赤信号でも止まるな!」なんてことも……(笑)

プラグが被るのは整備が悪いのではなく、“スロットルを開けていない乗り手が悪い”とでも言わんばかりのスパルタ英車鍛錬。しかしそこには、「高回転まで回してこそ英車の本領、本当に気持ちいいトコロが見えてくる」……という英車の真髄を追求する姿勢があったようなのです。

2年前の取材時にも小川さんは「エンジンを速くするより自分のウデを磨く方が先や」と仰っていましたが、それは英車はチューニングしなくても十分優れたスポーツバイクであることを知っていたからでしょう。

 


今年、最年長の大ベテラン、大阪の坂上さんも乾杯の挨拶で話していました。
「ベンリーに乗っていた10代の頃に六甲で初めて英車を見た時にはホンマにシビれた。初めてBSAに乗った時にはそれはもう感激しましたが、いまだに乗ると当時と同じようにシビれて感激する。英車はホンマに不思議です(笑)」と。ご多聞に漏れず、豪快過ぎるエピソードでは坂上さんの右に出るヒトはいない!? と言われるほど、80代でも現役で驚くほどハイペースで走る方。どうしてですか? と聞けば「気持ちイイんやから仕方ない(笑)」と返ってくるレジェンドであります。

 


英車が世界一のスポーツバイクだった時代……現在70〜80代の大ベテランの方々でさえ、日本ではその栄光をリアルタイムで見たり体験できたヒトはほんとに少数だったはず。

戦前の頃にすでに完成されていたとも評される英国車の本当の魅力は、当時のオートバイ乗りになりきり、その性能を思う存分引き出そうとする意思がないと、到底わからない世界なのかもしれません。そう思うと……「英車の集ひ」の参加者は誰もがスポーツバイクとしての英車に憧れ、その魅力の本質を追求し、その感動を今も楽しみ続けているヒト達ばかり。


「英車の集ひ」の最大の魅力は、英車が好きで、その魅力の真髄を知りたいと思っているオーナーばかりが集まっていること。英車の集ひに参加すると、不思議と英国の気品にすら触れられる気持ちになれるのはそうした理由なのかもしれません。英車乗りならなんでもいいから集まろう……ではなく、イギリス製のバイクやバイクシーンが好きなオートバイ乗りが集まるミーティング、それが長年、筋金入りの英車乗りによって育まれてきた「英車の集ひ」


来年から主催者は40代の稲垣さんにバトンタッチ。稲垣さんは若手といっても戦前モデルを乗り継ぐ相当なマニア。来年からも楽しみなワケです。

 

栗栖さん、お疲れさまでした!!

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