ヤマハ・コミュニケーションプラザ

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先日、浜松での取材帰りに初めて磐田のヤマハ・コミュニケーションプラザに寄ってきました。初期SRをはじめ、歴代のヤマハ製オートバイをじっくり堪能できると思うと建物に入る前からワクワクします。

 

 

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入り口前では、偶然にもワークスレーサー”M1″がトラックから下ろされたところに遭遇。にわかGPファンとしてはやっぱり#46の方が興奮します。

 

 

 

 

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建物2Fのメイン展示コーナーへ行くと、まずは創業者・川上氏とヤマハ発動機が創設された歴史とともに“社訓”がお出迎え。

 

 

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そして初号機、1955年製造のYA-1(125cc)と1957年製造のYD-1(250cc)が堂々と鎮座。なんでも1928年頃、世界最大のオートバイメーカーであった西ドイツDKW 社製 “RT125″を手本に、さらに高品質・高性能を求め4段変速(RT125は3段変速)を採用し、そのカラーリングから“赤とんぼ”の愛称で親しまれたYA-1は、メーカーとしての“原点”ではあるものの“ヤマハ・オリジナル”の姿ではないという、当時の開発スタッフらしい強い思いがあったとのこと。というわけで、実用一辺倒から独創的なスポーティなスタイリングで’57年に製作したYD-1(左)こそ、現在に続く“ヤマハ・オリジナリティ”の原点的存在だったいうのです。僕なんかは色合いも含め、デザインの線の細さが際立つYA-1こそ「ヤマハらしいなぁ」と思っていました。

 

 

 

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さらにヤマハ発動機のシンボル“音叉”マークが、楽器の調律に使うチューニングフォークを3本組み合わせたもので、“製造” “販売” “技術”の連携を標榜していた、なんてこともギョーカイの人間にしてヤマハユーザーながら初めて知りました。SRのタンクに付いていた音叉エンブレムなんて、「なんだか今っぽいなぁ…」と早々に取り外し旧“YAMAHA”デカールに変えちゃいましたが、“音叉マーク”の方が歴史アリなんですね……恥ずかしい。

 

 

 

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そして浅間高原レースでの優勝広告からその後の車両展示コーナーへと続きます。

 

 

 

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’60年代の国産オートバイのイメージは黒×メッキタンクですが、ヤマハはYA-1に始まりYDSと、“色”があった方ですね。そして展示は’70年代へ…。

 

 

 

 

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せっかくの3気筒GX750が……う〜ん、なんとかマフラー側から写真を撮りやすい並びにしてもらいたいものです。

 

 

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そしてコレが見たかった! いつもは写真ばかりの初期型SR500。アタリマエですが、35年も前の立派な旧車です。「あらためてそんなSRがいまも新車で乗れるということこそが、業界的にもスゴイことだと、単一機種でもっとも歴史あるオートバイはSRのみってことにもっとみんな感謝しなければイケナイ!!」と、ストバイSR担当としてはつくづく思うのです。

 

 

 

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そしてもちろん歴代のワークスレーサーから現在のM1までしっかり堪能。

 

 

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さらにお楽しみはお土産コーナー。今回の戦利品は初期型SR500の額付きポストカードと諸元付きB4ポスター、さらに”1978″つながりでUSインターカラーがいつ見てもカッコイイYZR500のB4版ポスターの3種類。

 

 

 

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ちょうど企画展の準備中だったレジャーバイクシリーズでは、Zippyのカラーリングに見とれてしまいます。やっぱり青い空とブルージーンズが似合いそうな’70年代の色合いはいいですね〜。

 

この他にも書籍コーナーやカフェも併設されているため、みなさんもぜひツーリングの休憩地点にでも行ってみて下さい。

 

ヤマハコミュケーションプラザ
静岡県磐田市新貝2500 TEL0538-33-2520