[カワサキZ 50周年祭] 2022-11-19&20 @ 西明石&加西, 兵庫


EVENT REPORT
〈カワサキZ 50周年祭〉
〜明石から世界へ、Zの偉大なる足跡と未来〜

2022.11.19 & 20 @ 西明石&河西, 兵庫


Z1開発の当事者とファンが交流した、
カワサキZの誕生50年を祝う名車の宴。

去る11月下旬にカワサキの本拠地・兵庫にておこなわれた〈カワサキZ50周年祭〉。1972年に登場したZ1の50周年を、Z1の開発に携わった当時の関係者の方々と多くのファンが皆でお祝いした2日間。1日目はカワサキのお膝元、西明石のホテルで、2日目はカワサキ(川崎航空機)の歴史を振り返る上で切っても切れない存在……な、第二次大戦時の戦闘機が展示されている加西市のうずらの飛行場跡で、じっくりゆっくり開発者の方々とZオーナーが交流し当時を振り返った、オーナーやファンにとっては夢のようなお祭りでした。


パーティがスタートする1時間ほど前に会場があるホテルに到着すると、Z1/Z2のフルオリジナルから側車付きやJ系&ローソンレプリカまで……すでに全国から多くのZ乗りが集まってきていました。この日は特別にホテル駐車場の屋上を貸し切り、さらに大型のクルマで屋上までの入り口を塞ぐという念入りな防犯対策も講じていました。というわけで遠方からの宿泊組も安心してパーティを楽しみます。


ズラッと並ぶ貴重なZシリーズ。中には欧州の一部地域で採用されていたロングフェンダー & なかなかお目にかかれない!? イタリアで採用されていた通称“袴テール”を装着したZ1もお目見え。



2012年の生誕40周年のときにもおこなわれたこのイベントは、関西を拠点に活動している〈Z1ファンクラブ〉が中心となり開催。〈Z1ファンクラブ〉とは……Zシリーズを通じて大人のオートバイライフの構築を目的に作られたクラブで、どうして関西が拠点かといえば、Z1の開発に携わった多くのカワサキOBの方々が中心となって結成されたから。クラブについて詳細は→こちらをチェック。

日本では“不良なバイク”の代名詞としても知られるカワサキZシリーズですが、〈Z1ファンクラブ〉は、そうしたいわゆる“男カワサキ”なクラブやミーティングはすでに全国に存在しているため、日本が生んだ名車、そして工業製品としても優れた“Zシリーズそのもの”をもっとオトナの感覚で愛でるクラブがあってもいいのではないか!? と、誕生したといいます。そう、コンセプトは男カワサキではなく、“大人カワサキ”。

まぁカンタンに言えば、「息子や娘に見られても恥ずかしくない“オトナのZ乗り”の集まりですよ(笑)」とは、ファンクラブ事務局を切り盛りする登山さん談。

アメリカでのテスト走行の際、CB750風のカラーリングでカモフラージュしたというのは有名なハナシ。

さて、ひとしきりお酒を飲み食事を楽しんだら、プロジェクターにて映し出された当時の貴重な写真を見ながらトークショーがはじまります。

[左]Z1開発ではテストライダーを務め、その後ワークスライダーとしても活躍したキヨさんの愛称でも知られる清原明彦さん。[中]GPZ900R等のエンジン設計を担当し近年ではH2Rの開発も主導した山田浩平さん。[右]Z1の開発総指揮を務め、その後純国産ガスタービンを開発し川崎重工の主力産業に育て上げた大槻幸雄さん。

[左]Z1のエンジン設計を担当した稲村曉一さん。[右]限界まで追い込むサーキットテストから、過酷な現地アメリカでのテスト走行まで、清原氏ととも“常にユーザー目線を忘れず”にZ1の開発に従事したテストライダーの山本信行さん。

1957年に川崎航空機工業に入社以来、マーケティング、経営、レース、広告宣伝、販売網対策等、つねに市場と直接関わり合いながら日本だけではなくアメリカでも経営総括等を担当してきた古谷錬太郎さん。

Z1開発におけるストーリーは数々の書籍でも読むことができますが、50年前のことを思い返しながら登壇した方々がツッコミ合う“当時の真実”!? は非常に興味深い内容ばかり。自分が乗っているオートバイについての“今まで聞いたことがないハナシ”が直接開発者の方々から聞ける……関西という土地柄や人間性もあるのでしょうか!? こんなイベントはカワサキ、そしてZならではのように思います。いやぁホントびっくりの連続!!

今年で89歳になる(めちゃくちゃ元気!!)古谷さんは、従事してきた職柄的に「僕が一番ウラ話を知ってる(笑)」と仰りながら、周りの方々に「あの時、本当は何があったんだ?」なんて無茶ぶり!? までしてくれるもんだから、2日間にわたってココでは書けない(本にも載っていない)話をたくさん聞くことができました(笑)


トークショーの後は一般の参加者と開発の方々が交流できる時間も設けられ、50年目の“カワサキZ愛”に満ちたパーティはあっという間に終了。しかしながら、通常関係者だけで行われることが多いこうした会に、Zオーナーやユーザーが参加できるってホントにすごいことですね。


翌日は明石から小1時間ほど走った、加西市にある〈うずらの飛行場跡地〉にてミーティングがおこなわれました。


前泊組、そして近郊からの当日組が続々とやってきます。



Z1開発総指揮を担当した大槻さんをはじめ、’60年代以降のカワサキのオートバイの開発に携わった技術者の多くは、航空機の開発を夢見て1950年代に川崎航空機に入社した方々ばかり。敗戦国として航空機の開発を断念せざるを得なかったことは有名なハナシですが、Z1誕生までのカワサキの歴史を振り返るときにやはり航空機や戦闘機は切っても切れません。

というわけで、2日目は加西市にあるうずらの飛行場跡にある〈soraかさい〉にてミーティングがおこなわれました。ココには第二次大戦末期に川西航空機が局地戦闘機として開発した[紫電改]と、パイロット養成のための練習機[九七式艦上攻撃機]の実物大模型が展示されています。

ちょっと驚いたのは外に展示してあったこの転圧ローラー。滑走路の地盤を固める整地用のローラーだそうですが、説明看板には両端に付けたロープを体に巻き転圧ローラーを引いている写真の説明に「旧制姫路高等学校生徒の勤労動員作業」と書かれています。学生にどんだけ重たいモノを引っ張らせてんだよ、と思うとともに、このうずらの飛行場から何人もの若者が特攻隊として出撃し63人が戦死したなんて事実を聞くと、あらためて戦争に行くのは戦争を決めた政治家が行けばいいと思ってしまいますね。


話を〈カワサキZ50周年祭〉に戻します。
2日目もファンには贅沢なとっておきの秘蔵!? トークショーが繰り広げられたワケですが、驚いたのは、「ようこそ加西市へ」と歓迎の挨拶をされた元加西市副市長の佐伯武彦さん[写真左]が、なんと1961年に川崎航空機工業に入社し、二輪事業部では’70年代中盤に稼働をスタートさせた日本メーカー初(4輪2輪通じて)の現地工場、アメリカ・リンカーン工場も担当、その後川崎重工業の副社長まで務めた、黎明期のカワサキ・オートバイを支えてきたヒトだったこと。


初日のかしこまったパーティ会場とは正反対の屋外だからか、ホテルでのトークショー以上に話題がハジけていた!? 皆さんのご挨拶。なかでも面白かったのは、1960年代前半のカワサキ二輪事業撤退を救った“青野ケ原モトクロス大会での赤タンク旋風”にまつわるウラ話。

 


目黒製作所と業務提携した1960年代前半、じつは第三者機関に事業撤退か否かの調査を依頼するほど業績が落ち込んでいたカワサキの二輪事業。その危機を救ったのが、“赤タンク旋風”で知られる地元・兵庫県青野ケ原でおこなわれた第一回モトクロス大会(1963)にてカワサキB8Mが1〜6位まで表彰台を独占したことでした。その吉報に二輪事業部の士気は一気に高まり事業存続も決定、そしてその後のA1、マッハシリーズ、Z1とカワサキオートバイの躍進が続いたワケですが……青野ケ原のモトクロスレースでライダーを務めた山本隆さん[写真]に言わせると……「僕らのマシンはほぼ実用車のB8、ヤマハやスズキはライダーもマシンも一流。フツーに走ってるだけでは到底勝てません(笑) 天気にも助けられましたが、アレはじつは……」と、これまたある意味歴史をひっくり返すような!? 大笑いしてしまったびっくり真実が飛び出し大盛り上がり。時代なのか関西的なのか……!? 残念ながら詳細はココでは書けませんが、こうしたイベントに参加したヒトだけが聞けるご褒美のようなハナシはこれでもか、と続きました(笑) 今後お会いした方には口頭でお伝えします。

1963 B8M (写真提供:カワサキモータース ジャパン)

 
soraかさいでは戦闘機を眺め防空壕を見学、さらにお昼ご飯を食べながらのトークショーもありで、初日以上に皆さんゆっくりカワサキZな時間を過ごしていました。


しかしながら、登場から50年も経っているにもかかわらず、メーカーの開発者も巻きこんだイベントが開催されるオートバイなんて他にあるでしょうか!?

Z1が時代を変えた、CB750よりも優れていた、今も世界中にファンがいる……等々、カワサキZの名声はたくさんありますが、どうやらその答えは、作ったヒトたちが「今もZ1が好き」ということに尽きるように思います。エンジンの開発技師からデザイナーにテストライダー、そして広報やマーケティングに携わったヒトまで、話を聞いているともう全員がカワサキZの職人。こうしたことこそがカワサキZ1の奇跡であり、いまもこうしたイベントがおこなわれる所以なのかもしれません。そして参加したカワサキZオーナーにとっては、そんなことを実感できるのがなにより嬉しい2日間なのでした。

[KZ1000]夏の思い出。Zだらけの1000kmツーリング。その1


もう2ヶ月も前になりますが、7月末頃にPamsで知り合ったカワサキZ乗りのセンパイに誘ってもらい「一泊二日の1000キロツーリング」に行ってきました。

なんでも毎年恒例のツーリングでいつも目的地やルートはさまざまだそうですが、その名のとおり一泊二日で“1000キロ縛り”。これが聞けば毎度ルートがイイんです。基本的に高速道路は最低限。山間部を抜ける国道や県道にワインディング、とにかく気持ちいいルートをじっくり楽しむためにまさにワープとして使うのみのルート設定。


今年の目的地は山形の米沢。東北道を使いストレートに走れば距離は約320kmほどですが、朝6時に都内で集合し向かった先は新潟・長野方面へ向かう関越道。まずは首都圏の渋滞を避け日本海が目と鼻の先に見える!? 新潟・魚沼までひとっ飛び。

 

新潟・魚沼から福島・会津へ抜ける国道252号沿いの山あいから見える田子倉湖の絶景。

僕以外は皆さんZ1でPamsでモディファイ済みの黒豆スタイル。ついつい外観ばかりに目がいってしまいますが、どのZ1も点火系からエンジン(2台はツインプラグ仕様!?)、そしてキャブレターまでひと通り手が入っているためその走りは見た目以上にHOT。ワインディングで後ろから見ていても、ノーマルエンジン+ノーマル点火+ノーマルキャブのKZ1000だと3速から2速に落とさないと立ち上がりでスムーズに加速できない場面でも、皆さん3速のままチカラ強く立ち上がっていきます。


おそらく2000rpm前後で大きくスロットルを開けてもノッキングを起こすことなくしっかり加速するのでしょう。Z系のチューニングマシンは高回転時の加速性能や最高速ばかりが注目され、その部分だけで「速いか速くないか」とイメージ/判断されがちですが、PamsセッティングのZは3台とも“開け始め”から高回転までストレスなく走るZでした。あぁうらやましい。やっぱりまずはフルトラ化からかなぁ…。

 

すぐ側まで来てしまうと一般的な湖と変わりませんが、上から見ると東西、そして南へと広がる不思議な形状の田子倉湖。


田子倉湖を抜け新潟と福島の県境、南会津郡の只見町辺りで昼食。走行距離はすでに300キロほど。ずいぶん走った気分ですがまだまだ中間地点。ところが美味しいご飯のあとにおじさん達を待ち受けているのは、とてつもない睡魔。普段は気分最高な山あいのカントリーロードはなかなかの地獄でした(笑)

 


その後、猪苗代湖を背に西会津から裏磐梯ゴールドラインを北上。


檜原湖の脇を抜け1日目最後の峠越え、西吾妻スカイバレーを堪能し山形米沢市街に到着。

ホテルでひとっ風呂浴びたおじさん達は米沢牛とともに乾杯。

続く。


国道252号の峠頂上付近から見た田子倉湖はほんとに絶景。テレビで見る中国のような景色でした。

久々の3XLサイズのタンクバッグ、ヨーロピアン・コンチネンタル帆布ver.をKZ1000に装着してみました。


ホンダCBやカワサキZシリーズ、また欧州ではNORTONやBMWからも続々と大きな燃料タンクを備えた“ツアラー”モデルが登場した’70年代後半~’80年代。なかには20L以上のガソリン容量を備えたモデルも登場したほど当時一大ブームとなった、そうした“ツアラーモデル”の狙いは当時、最大のマーケットでもあった欧州/北米での大陸間移動を楽にこなせること。

……というわけで、欧州や北米の現在の旧車シーンを見てみると、やはり日本とはロングライドにおける“距離感”が違うからか、現在もベテランのツーリングライダーを中心に“大きなタンクバッグ”が主流です

そこで、CONTINENTAL=(大陸)」をコンセプトに企画した特大サイズのタンクバッグが、3XLサイズのヨーロピアン・コンチネンタル


久しぶりに帆布オリーブドラブでのご注文をいただきましたので、発送前に拝借させていただきKZ1000とともに撮影。ガンガンなんでも荷物を突っ込めるサイズは一度使うとやめられません。大きなフューエルタンクのオートバイの方、おすすめです。

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