[Event Report]
—第40回—英車の集ひ
2021.10.30-31 @伊予ロッヂ, 清里, 山梨
英国車を愛で、英国の気品に浸る、
40回目を迎えた伝統の英車ミーティング。
1960年代まで栄華を誇っていたイギリス製オートバイは’80年代を迎える頃には日本製4気筒モデルにその座を奪われ、すでに時代遅れの旧式スポーツバイクの烙印を押されてしまっていました……が!? その一方で「やっぱり古き良き英国車が良い」というファンが本場イギリスはもちろん、全世界にたくさんいたのはご存知のとおり。そして当然、日本にも少数ながらそうした英車ファンがいました。
去る10月30〜31日に山梨・清里にて開催された今年でなんと40回目(年一回開催)を迎える「英車の集ひ」は、それこそ当時から日本製の最新モデルよりも「英車が良い」とこだわり続けたヒトたちが、最初は数人の仲間たちで走り、集まることからスタートしたミーティング。
・
・
40回目を迎えた今年、主催の座を若手に譲った栗栖さん。これまでは様々な準備のためクルマでの参加だった栗栖さんの来年からの楽しみは「久しぶりに自分の英車で参加すること」だそう。
「英車の集ひ」が初めて開催されたのは昭和57年(1982年)。オートバイのミーティングというと「アサマミーティング(群馬・長野原)」か「古き二輪を愛でる会(京都)」くらいしかなかった当時、和歌山在住でその頃BSA A65に乗っていた栗栖さんが大阪の老舗・英車専門店〈小川モータース〉に整備で訪れたことが「英車の集ひ」が始まるきっかけだったといいます。
主催・栗栖さんからお借りした貴重な第3回「英車の集ひ」の集合写真。
こちらは同じく第3回の参加者名簿。参加者には届く名簿の表紙は毎年趣向を凝らした“古き良き”英車の写真が使われていた。
「小川さんらとね、“英車だけで思いきり走らせる”集まりがあってもいいんじゃないか!? なんて盛り上がってね」と、栗栖さんは当時を振り返る。“英車を思いきり走らせる集まり”……いま思えばこれこそなんとも英車乗りらしい、そして英車乗りならではのミーティング・テーマだったのです。
会場は“英車を存分に走らせたい”オーナー達にとって絶好のカントリーロードが縦横無尽に存在する紀伊半島の中心、和歌山県の花園村に決まり、参加者はわずか7人でのスタートだったそう。ところがその評判はすぐに広まり3回目[写真上]には参加者は46人に増え、4回目からは関東方面からも多くの英車乗りが参加するようになったといいます。
・
Photo/KAZ (Triumpher)
「英車の集ひ」……というと、若手を中心にこれまで何度も“敷居が高くて参加しづらい”といった声を聞いたことがありますが、考えてもみればそれもそのはず。もちろん主催の栗栖さん他、長年参加しているヒト達にそんな気持ちは初めから一切ありませんが、誰もが10〜20代の頃(1960〜70年代)から旧車の中でも特にマイノリティな存在だった英車に傾倒してきた、ある意味とんでもない変わり者!? ばかりの集まり。つまり見た目はジェントルでも英車のこととなると筋金入りの猛者たちが何十年も続けているミーティングというワケです……そりゃ誰でも初めて参加した時は“そう”感じても仕方ない部分もあったんじゃないでしょうか。実際は皆さん、優しくて気さくな方達ばかりなんですけどね。
そもそも「英車の集ひ」が関西発だったからなのか……ストバイ時代から英車の取材というと何かと関西方面が中心でしたが、興味深いのは大きく分けて“関西と関東の英車乗りの価値観”が昔からどうやら少し違っていたのかなぁ……と感じることでした。
・
ざっくりと言えば、一般道主体かサーキット主体かの違い。
・
2年前に制作したムック「BRITISH TWIN-英車真髄」で取材した時の小川さん。
以前〈小川モータース〉の小川さんも若い頃を振り返り仰っていましたが、当時旧車レースが盛んだったのはやはりサーキットが充実していた関東エリアだったそうで、小川さんら関西の方々も当然興味があり何度も参加していたと言いますが、やはり遠いため毎回となるとムズカシイ部分もあったと話していました。
対して、関東エリアに目を向けると、古くからの英車ショップやトライアンフで有名だった故・山田さんらの話を聞いていると、とにかくレースに向けたエンジンのチューニングが盛んでもあったようです。オートレース関連のチューニング・エンジンのことや有名チューナーの話題もよく聞いたものでした。
・
[上の2枚の写真は若かりし頃の小川さんとツーリングでの一コマ]
小川さんの昔話を聞いていると「関東のヒトらはやっぱりスゴいでしょ?」なんて言いながら、その分、負けじと若い頃からツーリングをはじめとにかく走り回っていたハナシがたくさん出てきます。“英車を思い切り走らせたい”と始まった「英車の集ひ」じゃありませんが、それこそ近畿エリアのカントリーロードはいつでもどこでもマン島TTレース状態!? でもあったようで、詳しく聞けばそれはもうココでは書けないような豪快過ぎる!? エピソードの数々でしたが、そうした英車ライフも関西方面の英車乗りの特徴でもあったようなんです。
・
関西エリアの英車乗りは一般道でその本領を発揮しようとしていたのに対し、関東エリアの英車乗りはサーキットでその可能性を追求していた……どちらも英車のスポーツ性を楽しもうとしているコトには変わりませんが、“日常的に、そして純正のまま一般道をガンガン走らせる”英車乗りの姿は、関西には今も受け継がれている“古き良き”英車乗りの世界のようにも感じるのです。
・
現在、小川さんは年齢と体力を考慮し店は閉じ、小川モータースで修行し独立した犬塚さんのショップ〈タイガーワークス〉にて顧問!?をつとめているそうです。[左]小川さん[右]犬塚さん
“一般道で英車の本領を楽しむ”……小川モータース出身で大阪で英車専門店〈タイガーワークス〉を主宰する犬塚さん達と走った時には、それこそ「旧車なのにそんなに回しても良いのか!?」と唖然としたモノでした。
聞けば、犬塚さんや犬塚さんと同じく〈小川モータース〉出身の京都〈ブリーカーズ〉手島さんが、その昔小川さん達ベテラン勢とツーリングに出かけると……走行中の小川さんが横に来て「もっと開けろ! 飛ばせ! もっと回さな英車の魅力はわからへん! 」としょっちゅうゲキを飛ばされたといいます。さらに言えば「赤信号でも止まるな!」なんてことも……(笑)
プラグが被るのは整備が悪いのではなく、“スロットルを開けていない乗り手が悪い”とでも言わんばかりのスパルタ英車鍛錬。しかしそこには、「高回転まで回してこそ英車の本領、本当に気持ちいいトコロが見えてくる」……という英車の真髄を追求する姿勢があったようなのです。
・
2年前の取材時にも小川さんは「エンジンを速くするより自分のウデを磨く方が先や」と仰っていましたが、それは英車はチューニングしなくても十分優れたスポーツバイクであることを知っていたからでしょう。
・
・
今年、最年長の大ベテラン、大阪の坂上さんも乾杯の挨拶で話していました。
「ベンリーに乗っていた10代の頃に六甲で初めて英車を見た時にはホンマにシビれた。初めてBSAに乗った時にはそれはもう感激しましたが、いまだに乗ると当時と同じようにシビれて感激する。英車はホンマに不思議です(笑)」と。ご多聞に漏れず、豪快過ぎるエピソードでは坂上さんの右に出るヒトはいない!? と言われるほど、80代でも現役で驚くほどハイペースで走る方。どうしてですか? と聞けば「気持ちイイんやから仕方ない(笑)」と返ってくるレジェンドであります。
英車が世界一のスポーツバイクだった時代……現在70〜80代の大ベテランの方々でさえ、日本ではその栄光をリアルタイムで見たり体験できたヒトはほんとに少数だったはず。
戦前の頃にすでに完成されていたとも評される英国車の本当の魅力は、当時のオートバイ乗りになりきり、その性能を思う存分引き出そうとする意思がないと、到底わからない世界なのかもしれません。そう思うと……「英車の集ひ」の参加者は誰もがスポーツバイクとしての英車に憧れ、その魅力の本質を追求し、その感動を今も楽しみ続けているヒト達ばかり。
「英車の集ひ」の最大の魅力は、英車が好きで、その魅力の真髄を知りたいと思っているオーナーばかりが集まっていること。英車の集ひに参加すると、不思議と英国の気品にすら触れられる気持ちになれるのはそうした理由なのかもしれません。英車乗りならなんでもいいから集まろう……ではなく、イギリス製のバイクやバイクシーンが好きなオートバイ乗りが集まるミーティング、それが長年、筋金入りの英車乗りによって育まれてきた「英車の集ひ」。
・
・
来年から主催者は40代の稲垣さんにバトンタッチ。稲垣さんは若手といっても戦前モデルを乗り継ぐ相当なマニア。来年からも楽しみなワケです。
栗栖さん、お疲れさまでした!!